#Sarahの考察 Vo,5【発信することはもはや生活の一部】

あまり自分のことを話したくないけれど、少し腑に落ちない一言を目にしてしまってから、自分の行ってきたことに関して深く考えるきっかけがあった。 


多分、誰にも憧れってあって、その対象が様々なことにベクトルが向くと思うんだけれど、私はそれのきっかけが『ファッション雑誌』だった。(多分前に書いた記事をご覧になった方ならわかっていただけるかと思うのだけど)


 そして、気がついた時には、ファッション雑誌の編集者を志していて、学校の進路もそれに合わせて海外の大学を選択した。 


ちょうど、その頃世の中は、ガラケーからスマホに移行していた時期で、私はミーハーなたちなのでクラスで一番ではなかったかもしれないけど、早いうちにスマホユーザーになっていた。


 まるで、パンドラの箱を手にしたような気持ちで、これがあれば色々無敵だし、ファッションの勉強するにもってこいのアイテムだ!と、授業中にスマホ片手に語学勉強したりね!(すみません先生、笑) 


早速オリジナルスクラップが作れるアプリPolyVoreやブログスポットでファッションの記事を書いたり(その時海外でもブロガーがはやっていたからw)

自分の考えを世の中に、これ一つ(スマホ)で伝えることができるんだ〜

というワクワクした気持ちでいっぱいだったかな。


今思うと、これが発信することの原点。

多分きっかけは大したことないということ。 


その後、スマホユーザーが増えアプリも充実していった。

お恥ずかしいはなし、インスタ歴はかれこれ4・5年w


 最初は、写真を加工するツールに物足りなさを覚えて非公開でインスタ上に加工をほどこして、その写真をブログにアップしていたの。 


気がついたら、周りもぼちぼち初めてきて、そろそろ見せてもいいかなーというかんじで、だからフォロワーを増やしたいという時期ももちろんあったけど、なんせ気まぐれなうえに適当な性格なこともあって、統一感とか、写真の良し悪しとかより載せたいもの!ってかんじでセンスが未だにないので、お恥ずかしいですがいまだにフォロワーは多くないです。(あんまりここは突っ込まれたくないww)インスタグラマーになりそこなりましたw 


恐ろしいほどに、いまは発信することへの羞恥心はインスタ始める前に比べてない。
これって多分私だけではない、だっていまやご飯食べながらインスタLIVEする時代ですよ。


そりゃ、ネタ欲しさに過激なことする人たちを「ああまたバカがいるよー」というのも不思議ではないなってね。 


 そして、誰もがいまの時代『発信者』であるということ。 

その中に見えないカテゴリーが存在し、各々自分の個性に合わせて発信している。 


いまだに、私は、ファッションに夢見ているし、この意識が潜在的に自分の行動に繋がっていると感じる瞬間が増えた。


それは、いまの仕事に繋がっているし、今後もいい変化を産むためにも、やらなければいけないことがいっぱい。

おそらくそれは、SNSできっかけを得た出会いがあったから。 


だから、なんでそんなに発信するの?発信することにこだわるの?と言われたら、私は間違いなく

「いやいや発信することはもはや生活の一部であって、『憧れ』を上回るほど自分が伝えたいこと、伝えなきゃいけないことがあるからです。」と答えると思う。


 だって、つっこみたいことばっかじゃないですか?世の中って。笑


 それに、そうだねーって思う人もいれば、いやーって思う人もいて、
本当だったら交わることのない人と繋がるきっかけになる。 

それってとっても疲れるけど、使い方次第で本当に豊かなことだと思う。 


だから、発信することの重さは、本来ならそう違いはないはず。 


高校生の時に、顧問の先生の言葉はいまだに忘れられない。 

私の所属していた部活は、世界大会に出場するほどの実力者から、競技歴が数ヶ月の初心者までいる部活で、実力者だろうが舐めた態度をとろうものなら容赦ない部活で、先生がよく言っていたのは、

「目標の重さに違いはない」つまり、「インターハイで入賞しよういう目標も、地区大会で入賞しようという目標も同じくらいだけ重いということ」 


発信することも、本来ならそうなんではないかということ。 


発信することは、もちろん認知度やそもそものπに違いがあるゆえ、名が知れ渡っていることに越したことはない。でも誰もが最初は、憧れから入る部分が多いはず。
『憧れ』を生まずして、何を伝えるのか、『憧れ』はモチベーションであり、起爆剤であり、誰かの夢であるべきだと思う。 


そしてこれからも、わたしはこのスタンスは、時代の変化に伴ってありとあらゆる手段で自分の可能性とマッチさせていくと思う。 


そして、考察もずーっと続く、疑問がいつでもわたしにとってのモチベーションであるから。

 だから、年取るのがとっても楽しみなんです。 

今まさに、恥ずかしさの塊である
サイバータトゥーを自らここに刻んでおります。 

いつかの自分へという感じで、 

ということでした。


 ご清聴ありがとうございましたw 

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