#Sarahの考察Vol,9【アイデンティティと戦う人生】



先日、ネットで妙な広告を見かけた。3人の男女が並んだ写真に「どことどこのハーフでしょう?」とキャッチコピーがはいったもの。


また別の広告では、「外国人にも合う肌色ファンデ」とデカデカとうたった広告。


この広告たちに何も疑問を感じないと思う方は、この記事をぜひ最後まで読み進めてほしい。


私が最初にこの広告を見た時は、絶句した。この広告を目にした時に違和感しか感じなかったという体験から、今回はかなりセンシティブなトピックであるお話をしようかな。


色んな意見があると思うけれど長年の様々な疑問を考察していく。


2年前に、「ハーフであること」についてブログ記事を書いたことがあるの、その時はミスユニバースの日本代表がハーフの方で、賛否があったことについて自分なりの意見を書いたもの。


短く話せば、ハーフにも様々なカテゴリーがあってみんながみんな同じ「ハーフ」の型には収まらないよということ。


育ったバックグラウンドも違えば、ハーフだからと言って母国語以外を話せるわけでもないから、ハーフのステレオタイプが長年変わっていない日本が本当の意味で国際的な国になるには、まだまだ時間がかかるよねっていうもの。下記より飛んで記事目を通してほしいな。

今回は、もっと踏み込んだお話になるので先に言っておきます。長いですw


さて、最初に話したいのは、日本のもつ多様性って何を指す?というもの。


自分の親の世代から考えれば、私たちの世代はまだ「国際的」に見える場面が多いのかもしれない。


ネットで国境またいで友達を作れるし、日本のパスポートでビザなしでいける国だってある。


でも、ちょっとした日常生活の場面では、国際的なんてまだまだまだだよなあって。


それがにじみ出てしまっている、世の中の広告は本当に見ていられなかったりする。


その一つが、さっきもあげた「どことどこのハーフでしょう」とうたったインスタの広告。


突っ込みどころ: 誰の目線にたってるわけ?


笑っちゃうんだけどさ、「どことどこのハーフでしょう?」ってインスタのフィードで流れてきた広告。


そもそも何の広告なのか謎すぎて誰にアプローチしたいのか訳がわかりません。


広告の意味がないし、まじどことどこのハーフでしょうってさ、これまた見た目だけで人の血筋を探ろうだなんて、そもそも間違っている。これは本当に恥ずかしと思った方がいい。とただ呆れたよ。


そして、2個目の広告では、「外国人にも合う肌色ファンデ」というキャッチコピー。


えーーっと。具体的に外国人ってだれを指してらっしゃいます?


ここで物申したいのが、国外から来た人を修飾する言葉として使われる、「外人」という単語。


日本語の「外人」って言葉は多くの人が無意識に使っていると思うけど、割とセンシティブな言葉と捉えるべき言葉であると思う。そして、出来るだけ私は使いたくなかったりする。


その理由は、自分の国以外の人という意味で使うには、もう今の時代にしては古い死語なようなものなのではと。


それは、見た目で全てを解決している言葉にも聞こえるから。日本人に見えない=外人って本当にいえるのかな?っていうこと。

生まれた国、国籍、両親の人種、言語、生活を拠点にしていた国は必ずしもマッチするわけではない。

そんな私は、ハーフとわいえ容姿はどちらかというと、日本の血が弱い為五分五分で外国人扱いを受ける。特に都内のカフェでは英語対応はほとんど。「日本語で大丈夫です。」というとホッとされることもしばしば。

ましてやここが全てにおいてマッチするひとなんて果たしているのかな。という話だしたら本当にキリがない。


これは、前にTEDtalksでも話題になっていたトピックで、「人をカテゴライズする言葉として用いられるべきは、肌の色や国籍ではなく、ローカル=その土地の文化や習慣を持ってるかどうかじゃない?」

って言っていたこともあって、かねてより他に表現できる言葉はないのかな?なんて思っていたり。


それくらい難題な意味を持つ言葉が、簡単に一言に収められていると思うと少し恐ろしいかったり。


決して忘れていけないなって感じるわけです。


話しもどすと、この広告では、ファンデーションをPRしてるから当然、「肌の色」が関係してくる。


世の中の「外国人」とカテゴライズされる人の中でこのファンデーションの色に合う人は一体何人いるのか。非難されてもいいくらいカラーの展開も少ない商品で本当になんなんだと思ったという広告だった。


今、人との違いを個性と捉えて勇気を与えているコスメブランドがある。


先日、歌手リアーナがローチンしたコスメブランド「Fenty Beauty (フェンティー・ビューティー)」。



既存のコスメは、ターゲットはマジョリティ向けといいながらもその多くは、お世辞にもファンデーション1つ取っても、1番近い色にこちら側が合わせるしかなかった。ないなら自分で色を混ぜたり、ぴったしハマる色に出会う大変さときたら、もう…。

でも、フェンティービューティーでのターゲットは、マイノリティーもマジョリティーと同じくらいみんなのわがままを聞いてくれているようなブランドだと思う。

多様性を上手く取り込んだもので、待ち焦がれた人も多かったはず。


フェンティで扱われているファンデーションは、どんな肌色にも合うようにと40種の色が展開されている。


国や地域によっては、ラインナップが違うそうだけど、今まで既存になかった、即売り切れた肌色も多かったとか。

なんかこのニュース読んだ時じーんってなったよ。みんな自分の肌色を探し求めて、手にすることが出来る喜び。

自分は例外じゃないんだなって、安心できる素敵な変化だと思う。

たった肌色だけでそんなに感動する?って思うかもしれないけど、

それほど贅沢なことってないってこと。

マイノリティーって実感するのは外に出てからじゃ正直遅い


些細な点ですら、これはみんなにとっていいことなの?とか批判的な目を持つこの感覚になるのは、少なからず自分の足で外に出て異国で生活をしたことがある人は共感できることなのではないかなって。

日本が狭いとは言いたくないけど、自分の足で国外に踏み入れたとき、自分が普通でない事に気がつき、周りを受け入れるキャパができることは事実。

ただ、それは環境をわざわざ変えてまでしないと気がつかないというのも酷な話なわけだけど。気がつかないよりいいよね。多分それは、自分を客観視し、周りとの違いにぶつかることではじめて同じ感覚を持つ人歩み寄ろうとするから。

おそらく、世界の誰からみても普通でしょと思う感覚は、実際のところ自分の常識でしかない。

そして、肌の話と共に話したい事がある。

それは、ミックスとして生まれた自分アイデンティティについて。

今でこそ、自分のパーソナリティを表にだして堂々としていられるようになったけれど、それは、決してみんなと違う肌色で、見た目だからじゃない。

なんでこんな話をしているかというと、「ミックスだから」「外国人っぽいから」という曖昧な感覚を「個性」とだけで片付けられることに憤りを感じるから。

そこが自分をアピールするだけの強みとなるのって本当に格好いいことなのか?

ハーフであることは私の一部であるけど、全てではない。それは特別なことではなく、事実だから。

こういう風に話すと、もっと誇りを持てとか言われるのだけど、そういうことではなく、ミックスというフィルターを忘れて、私を人として見てほしいってことをいいたい。

多様性を進めさせるためにも、この意識改革は絶対必要だなと思う。

これからもこれは声を大にしていい続けたい。

とまぁ長くなりましたが、思考の軸は2年前とそう変わらないということも分かりました。

今は、様々なバックグランドをもった国際的な友達が増えて、自分の考えがまだ浅はかな部分もあったりするのも事実だし、もっと色んな人と色んなお話出来ればなって思ってる。

長々となりましたが、最後まで読んで下さった方ありがとうございます!
















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