Sarahの考察Vol.10【「私」はきっと小さな選択の集まり】


自分らしいとはなんぞや?この課題を乗り越えた人生とそうでない人生があるならば、絶対に前者を選びたい。というくらい自分について考え機会って案外少ないもの。でもね、最近気がついちゃったんです。

もしかしたら今の自分を作っているのは、日々のちょっとした事なのかもと。

それは、ふとしたことだった。先日ずーっと楽しみにしていたコスメブランドから限定色カラーのリップが発売された。

私は、そのブランドが手掛けるカーキ色のリップがずーっと欲しくて、発売と同時にお店に買いに行った。

なかなか日本では手に入りにくいカラーだから売り切れないようにーとソワソワしながらもお店に向かい、無事にゲット。

次の日早速そのリップをつけていつも通り仕事いき、そこまで違和感感じずに普通に過ごしていた。なんなら風切って歩いてた。笑笑

まぁ見慣れない色がだけあって多少なんか言われるだろうなーとは思うも
もらう反響もこれまた面白くて、
「その色まじ似合ってる!」
「Sarahらしいわ〜」とお褒めの言葉を頂き浮かれてたけど、

やーっぱり
「それの色は普段使いすべきでない」
「よくその色選んだね」という意見ももらうわけで、

自分からしたらそこまで違和感を感じずに使っていたけれど、人によって普通の度合いがここまで違うのかと思ったわけです。

また、さらにカーキのリップを合わせるなら目はこの色のシャドウがいい、服はあまり同系色に寄りすぎないようになんてバランスを考えるとまぁたしかに地味とはいえない全体のルックが完成するわけで、

そのルックはおそらく、リップを赤やピンクが普通のカラーと捉えている方からすると範疇を超えた姿になる。下に図を描いてみた。笑笑


カーキのリップを塗るか塗らないかでみえるまた考える世界は全く違う。世界が違うというより、選択が違えば違うほどその人たちの趣向や好みに共通点がなくなって、共感もしないなんて「生きていて交わらないであろうタイプの人間」とお互いをくくってしまうのかなーって。

何が言いたいかって、物ひとつの選択においても人の違いは沢山あって、その選択が積み重なって自分というものが出来上がる。

そしてその選択を左右するのは、自分の意思or他人からの目線のどっちかによってしまうということ。

本当に自分らしいって何かなって思うわけです。

その選択って日常生活にたっくさんあって、「決めるのがめんどくさいとか」「どっちでもいい」ってないがしろにしてるといざ、人生の大きな選択に向き合った時にしっかり決断出来るのか?

なんてこの「選択」って行為の大切さみたいなものがあるなぁと改めて実感したのです。

たかがリップ、されどリップ。
人の価値観を問われるなぁーと思えば思うほど、リップの色が濃くそして既存にとらわれない色に寄っていく私ではあります。

そうこんな風にね。笑笑

別にどっちの選択がいい悪いではないけれど、しっかりそこに自分なりの選択の意思を持ちたいなーって。

否定することよりも受け入れていってとりあえずトライしてみるくらいの軽やかさを持って生きていければなーなんてゆるーく思ってます。

ただの派手好きとか思われるのもしゃくですが、選択した結果が今の自分な訳で自分がありたい自分なのかなと。

だから、いい意味で自分を裏切って生きたいなぁ。ステレオタイプに全くはまらない人間になろう。

そんなことをたまに思ったり。

そして、この際”自分らしくあるため”に常々その考えと軸にインスパイアされている、世の中のバイブルだと思ってるテレビ番組があってご紹介してみたりする。


「 Rupaul Drag Race」


レジェンドドラッグクィーンRupaul (ルポール)がホスト務めるこの番組は、次世代のドラッグクィーンを発掘w(とはいえ番組出る前から知名度があるドラッグクィーンもめちゃ多い)するということで、番組はコンペティション形式で毎回出されるお題をこなしていき、最後に残った人が賞金とコスメ会社から1年のスポンサー契約がつく。実にシンプルな仕組み。



賞金は💰10,000ドルで、スポンサーには、Anastasia Beverly Hills Cosmetics がついていて、海外ではメイクを楽しむ老若男女問わずつ人気と歴史のあるブランド。

個性と才能とユーモアといい究極のエンターテイナーのバトルはとってもエモーショナルだけど、学ぶ事も多い。

みんな様々な経験をしていたり、どこか自分の感情を表現する場所を求めていてハングリー精神に溢れている。

番組は、現在シーズン9まで放送されており、シーズンが増えるたびに人気が増してるみたい。(最近シーズン10がスタートした)また一部Netflixでも視聴できる。←(番組公式のチャンネルを持つとも言われていて、これからNetflixで見れなくなるとの噂もあるみたい…。)

この番組に出る事もとっても栄誉なことで、もはやドラッグクィーンのオリンピックだと思うww

衣装やメイクアップ、時にはダンスや歌など自分で作っていきクリエイティビティがとっても求められるという点も番組のポイント。

↑season9でリップシンクを拒み脱落した衝撃的可愛さなバレンティーナ。素敵やない?

ドラッグクィーンは、男性が女装をするととらわれがちだけどそこにも様々なカテゴリーがあって一括りはこれまた出来ない。

ドラッグクィーンをする方はみなLGBTQとも限らず、ストレートな男性で女装がただ趣味という方もいる。そして女性もドラッグクィーンになれる。もはや性別やセクシャリティは関係ない。そこも好きだなとっても。←私もドラッグクィーン一回やりたいのだ。


ショーの面白いところはね、どう考えてもそれやばくない?っていう衣装も場合によっては「よくやったわね」なんて賞賛されたり、与えられた課題を淡々とこなしすぎると「捻りが足りない」といわれたりハラハラしちゃうわけです。

みんなプレッシャーにかられていたり、新しいけれど自分らしくあるためにめちゃくちゃもがいていたり。とっても人間味ある番組。表面的なことを競う中であらゆることに、向き合いそして乗り越えなければいけない精神的な強さも求められる。

まだまだ書きたいこと多いのだけど、その番組愛記事はまたの機会に。とにかく、自分と向き合うことの大切さを教えてくれてる番組なんだな。

将来子供にはルポールを見て育って欲しいなんて勝手に思うのです。


自分らしくあることを怠りたくなければ、小さな選択から。

そんな風に思ったのでした。

世の中YOLOですしね。自分らしく生きましょうぜ。

では!

















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