#Sarahの考察 vol,11 【他人は自分の”鏡”?】
一歳年をとるたびに、人間関係ってグッと広くなるのはもちろん、その変化についていけるいけないで価値観・考え方は本当に変わると明確に意識したのはいつだったかな。
20代に入って何が変わったって言われたら、間違えなくそれは「人間関係」と言える。
それも、ネガティブなことではなくとってもポジティブな意味で。
今思えば有り難いことに、幼い頃から習い事で学校外の繋がりを持つ機会があってとっても色んなタイプの子と触れ合ってきた。
その時はあまりピンと来ていなかったけど、色んな人がいるなーと薄々感じていたのか、あんまり人に固執するタイプでないことも早いうちから悟っていたのかも。
また、事実いい意味でも悪い意味でも、ここ1,2年は人間関係の変化を感じることがとっても多かった年でもある。
最初その変化に戸惑いつつそれは、あんまり悪いことではないのかなと色んな人と話して思えるようになった。
今回は、目まぐるし”環境の変化”と”人間関係”について考察していこうと思う、
「友達を作る」というより気がついてたら「集まっていた」が心地よい
多分、人との繋がりで少し違和感を感じることって誰でも絶対あるはず。
めんどくさくても言いたいこといってけんかする程の仲か、それすらも出来ないほどドライな関係かここは結構人の性格がでるところ。
随分前から仲良かったのにぱったり連絡を取らなくなる子
長いこと知り合い程度だったけど、なんかグッと近く機会があって意気投合する子
とにかく、その時の環境・自分の興味や関心が相手とリンクしているかはかなり大きいのではないかと思いはじめた。
そして、その輪が広がって友達と友達がつながるなんて風にね。
友達になりましょう!
知り合いになりましょう!
ってスタートする関係は、後にも先にもお互いを損得感情でしか見ていなかったなんてことになり兼ねない。そして、相手に過剰に期待してしまうことで減点方式で相手を見てしまう。
でも、1つ言っておきたいのが、昔から友達だからという理由だけで関係を変えず付き合うにはそれなりに愛がないとできないなと。
というのも、お互い様々な場所で違う環境で揉まれているはず。
成長しないはずがないよね。
「昔のあの子を知ってるから、今も変わらず〇〇なはず」
言葉にしていなくても、相手に行動で求めてしまっていないか?
付き合いが長いほど相手の変わらないところ、昔の想い出話が唯一の共通点という部分で喜びを感じるだけのぬるい関係で終わってしまっていいのか?
だとしたら互いに成長していきながら、そのなかでの変化を楽しめる関係が素敵だと思う。
大人になってから友人と衝突することは、それこそかなりのエネルギーを使うことで、出来ればみんな避けたいと思うはず。
でも相手との関係性の変化をかえりみずに、「ビシッとそれは違う」とあえてキツイ言葉を投げられるか?これってかなりリアルな感情だと思うのよ。
励ましてくれる、背中を押してくれるそんな友達も大切にしたいけれど、自分にとって正直な言葉を交わせる友達の方がよっぽど信頼ができると最近になって感じる。
人間としての変化も楽しみつつ、お互いリスペクトできる友情関係を保つには、思いやりも必要だよね。そして、一緒に成長していこうって思える関係は大切にすべき。
とか書いていたら、でも多分これって恋愛にも言えることかもとも思う。が、これはしっかりPodcastでお伝えするとして。笑笑
見えないところでお互い成長している。だから、認めよう成長を
友達と深くなれるかなれないかは、結局のところ自分と共通点も多い、もしくはまーったく逆とまではいかなくても少し違った感性や感覚を持っていて刺激をもらえる人なのかも。
とはいえ、色んなカテゴリーの友達がいるのはとっても面白い。
例えば、年に数回しか会わないけど一緒にスノボー行く仲間。
毎月見たい映画を一緒にみて評論し合う仲の子。
美術館やアートなんかに一緒に浸れる仲の子。
なんか美味しい物食べに行く仲。
きっとそのくらいの距離感がいつしか心地よかったりする。全てを話す友達は、指に収まるくらいでいいのかもと。
全体的にまとまりないように聞こえるけれど、何が言いたいかというと…
周りにいる沢山の人によって自分という人が形成されていくなぁと感じたから。
今の自分がいるのは、周りの人がいるから。
その人達は時に自分を写している「鏡」のような存在だとしたら自分も彼らにとって何かしら影響を与えてるはず。
「なんかそう言えば最近あたりが強いなぁ」なんて感じるとき、自分が攻撃的になっていないか?
自分が周りに与える影響は思ってるよりも大きいことを忘れてはいけない。
ってようなことを前に本で読んでハッとしたんだよな。
そして、時に最近気をつけようと感じる事はソーシャルメディアでさらっと誰かと繋がる事で距離感を錯覚し、その人を知った気になる現象。
デジタル社会で知らぬ間に人と自分を比べ過ぎていない?
よくあるあるは、中高の時学校が同じで特に同時あんまり関わりがない人からSNSのフォローされるまたはフォローし、やーたら動向をみられていることにすこし恥ずかしさと緊張感を感じつつも相手のひととなりが気になってしまう。
ついこの間までならその人の生活スタイルや思考なんて知るすべなんてなかった。だから同窓会で久しぶりにあってあーだこーだ話すことでお互い成長を確かめ会うことが出来た。
でも今は全く逆。見ようと思えば相手の人となりを知ることが容易にできる。
でもそこで感じる感情は必ずしもいい感情ではないはず。なぜならみんな自分と相手を比べて勝っただの負けただの勝手に相手をラベリングしてみるから。
“比較”は時に人を奮い立たせてくれる感情でもあるわけだけど、SNSの登場によってそしてデジタル社会である現代にとって人は常に沢山の情報を「比較」して生活することに慣れてしまう。
時としてこの比較は人間関係にも多大な影響があることを理解しておくと自分のデジタルへの向き合い方もいくらか楽になるはず。
「なんであの子は、私よりこんなに恵まれてるの?」
「自分はあの子より幸せなはず」
比べはじめたら多分これって永遠に終わりはない。
その負の感情を背負いながらSNSを使うのは、全然ヘルシーじゃない。
だから、当たり前だけどネットを通そうが”等身大”の自分で色んな人とコミュニケーションをとることはオンラインだろうが、オフラインだろうが忘れちゃいけない気もする。
またまた話がずれたけど、どのライフステージにいてもみんな人間関係はきっても切れないことがらな気がしてね。そしてこれも正解はなければ、誰が教えてくれることでもない。
だからこそこういうことって、向き合うことでちょっと客観的に自分のあり方を冷静にみれたりする。
綺麗ごというつもりは全くないけれど、大人になれば友達もコロコロ変えられるからこそ、ちょっと立ち止まって自分の人間関係について考えることも悪くないかもなんて思えたのでした。
このネタは、この先も定期的に話していこうかな。
では。
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